ドラマ「斉藤さん」
「斉藤さん」というタイトルのテレビドラマがおもしろい
タイトルもそうだがストーリーがおもしろいのだ
幼稚園を舞台に
観月ありさ扮する主人公の斉藤さんが
間違ったことは間違い
正しいことは正しい・・・と
自分の信念を貫こうとするのだが・・・
その場しのぎ
目先の利益
わが子よければそれでよし
という大半の保護者と
園長をはじめとするスタッフたちの間で
厄介者扱いされる
一人浮いてしまうのだが・・・
それでも少数派の理解者もいて
奮闘する姿がすばらしい
原作はコミック本のようだが
あくまでもドラマ・・・
しかし私たちの現実の生活に当てはめてみよう
意外と思い当たる場面が多いはずだ
さてドラマに戻ろう
あの高島礼子が三枚目の保護者役で出演しているのもおもしろい
斉藤さんのやり方に不満を持つリーダー的存在
そのやり方に「斉藤さんはヒーロー気取りしてさぞ気持ちがいいことだろう」
斉藤さんが自己満足の世界で園をかき乱すと思い込んでるのだ。
ここで原作者が言いたいことを自分なりに探ってみた。
「だれが主役?」「だれのため?」「何が大切?」
そう、ここは子ども主役なのだ。子どものため、子どもが一番大事
その目的のために大人たちがどうするべきかを訴えているように感じる。
私にも中3、中1、小5の子どもがいるが
幼、小、中のPTA活動
スポーツ少年団や部活動の保護者会に出かける
いろいろな役もやってきた。
ここで「おれも斉藤さんやってきたよなー」
「いまも懲りずにやっているよなー」って・・・
家内もこのドラマを見ていて
「あんたみたいだねー」っていう
最近では中3の進路指導やいじめについての対応
部活動のあり方
スポーツ少年団の指導のあり方、運営の仕方
子ども主体に考えたときに
問題や課題を感じることが多い
いいことはいい、悪いことや不効率なことは改善すべきと
提案するのだが
「今までそうしてきたから」と問題意識すら持たない人が多い
「そんなものだ」とあきらめている人も多い
学校や指導者は
「ボランティアでやっている」「善意でやっている」と
課題や問題に直視しようとせずに逃げる
結局わが子よければそれでよしと思って躍起になっている親たちも
いつやら主役の子どもたちは不在になって
大人の都合、大人の自己満足になっていることも多い
将来的にわが子のためにならないことをやり続けるのだ
「ボランティア」「善意」・・・
貴重な時間も労力も無駄になっているような気がしてもったいない
さてさて今週の斉藤さんのストーリーは
クリスマスプレゼントにゲーム機を買うか買わないか
それに関連して事件が起きたのだが・・・・
子どもに携帯電話を買い与えるかどうか
私はそんなことがダブった
今春高校生になる娘には必要になるだろう
しかし中学までは必要ないと考える
家庭の事情でどうしても必要な子どももいるだろうが
「みんなが持っているからうちも・・・」という考えは
全てにおいてうちにはない
実態は正確にはわからないが
中学生はかなり・・・
小学生でも結構自分の携帯電話を持っているらしい
本当に必要なのか?
本当に子どものためになっているのか?
ドラマ「斉藤さん」は共感がもてるし
身近に理解者ができたようで勇気もわいてくる
子どもを最後に守ってやれるのは親しかいないのだから
子ども関係のことは子ども主体に
いつも問題意識をもっていたいものだ。